2025年8月31日日曜日

応答せよ

 新しい作品に着手。Groundから応答に5年かかってしまった。




























2024年10月1日火曜日

10.1

 


マルタ島の山の中に突如
たくさんの椅子が並んでいるのを見たときの喜びを
あれから10年以上経って京都で実感しています
写真はいつも遅れてやってきます
写真の現実を取り出すスピード感があるようなそれがいいような気が
まえはしてたんですが
写真にはその時見えるものと
あとから見えてくるものがあるという話で


あとから見て写真の中にあるものを仕分けして
ひとしきり眺めてから
また全て写真のなかに戻してしまうようなことを
ひたすら繰り返しています
よく見て、丁寧に撮られたものが
この鑑賞の繰り返しに耐えているように
今日は思いました。
蒸し暑いまま10月になりました。





2024年9月21日土曜日

9.21


 

お久しぶりです

最後に投稿してから4年も経っていました

なにもせずに日々が過ぎるのは思うより容易なことです。

作品を残さず時間が経つのは、写真を撮ることで自分が纏ってきたものがはがれ落ちていくようで

寂寥はみじんもなく清々しいです。そんなことを言っても出自は同じなので、別段変わり映えもせず。まだ先ですが、また写真を撮って作品を作ります。


それまでなにかしら記録はしておこうと思います。


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一昨日、国分寺に住むジャズと詩が好きな友人からきた封筒には

トレペのような薄い紙にリルケの詩を書いたものと、中嶋中春の詩のコピーが入っていて。

それに彼が香港で買ったという紅茶のティーバッグが2つ添えられていました。


リルケもすばらしんですが

この中嶋中春の詩(「Heaven or Tokyo」)にすっかり食らいました。

いつも素敵な服を着て詩を織るかわいい古い友人と、西武池袋線沿線に住むギター弾きの新しい友人のことを考えました。先日行った深夜喫茶のことも思い出しました。ずっと前にオールの後始発待ちをした東京タワーの近くにあるデニーズのことも想起しました。


新しいものを見ても、思い出してばかりですね。『ベティ・ブルー』のなかで「人生は虚しい、残るのは写真だけだ」というようなセリフがあって。まあそんなことはないだろうと思いつつ、わたしは写真を残そうと思います。残そう思ってるだけで撮ってないですが。また撮ると思います










(2012年ころ、アテネで撮った建築写真を集めて「スーパーカルト」って名付けて発表しようとしてたんですが。これもそのままになっています)

2020年3月23日月曜日

小野哲平との対話



5月24日延期です、京都で行われる「小野哲平との対話」に登壇します。
参加ご希望の方(学生優先)はessence kyotoまで。

参加者:小野哲平(陶芸家)、今井義浩(monkオーナーシェフ)、佐々木知子(写真家)、荒谷啓一・里恵(essence kyoto)

「群像」4月号



「群像」(講談社) 4月号に掲載されています、柿木伸之(哲学)さんの論考「抗う言葉を分かち合う──芸術と批評の関係をめぐって」においてGroundを取り上げて頂いてます。ぜひご覧下さい。